研究テーマ:高次元ブラックホールの理論的研究
研究の背景
4次元時空において一般相対論はこれまで観測や実験を精度よく説明してきました。
一方で究極理論の候補とされる超弦理論からは5次元以上の高次元時空や高次曲率項の存在が予言されるなど、
アインシュタインの重力理論に対する様々な拡張が提案されています。
近年盛んになっている重力波観測やEHTによるブラックホールの直接観測などにより、重力理論の検証がますます進むと考えられ、
それらに対する理論的な理解を深めておくことが重要と考えられます。
電磁気力などの他の力とはちがって、重力には引力しかありませんから、
どのような時空であれ一定の質量があれば引き合い、最終的にはブラックホールに近づいていきます。
そこで強い重力がはたらく時空の終状態として、(安定かつ)定常なブラックホール解の理解は重要となります。
高次元におけるブラックホール解は4次元におけるよりも豊富な数学的構造を持つ事が知られています。
特に大きな違いとしてブラックリングと呼ばれる穴のあいた解のような球面以外の形状が存在できることです。
一般に5次元以上の高次元時空(以後高次元時空といえば5次元以上の時空を指す)ではブラックホールは遠心力などで柔らかく変形できるといえるでしょう。
これは高次元に行けば行くほど、遠くまで重力が届かなくなっていくからです。
高次元ブラックホールの形はもはや「ホール」とは限らないため、一般にはブラックオブジェクトとも呼ばれることもあります(ここでは簡単のため全て"ブラックホール"と呼びます)。
4次元時空ではブラックホールの形状が2次元球面に限られることが数学的に証明されていますから、これは非常に大きな違いです。
ところが与えられた次元についてどのような(定常な)ブラックホール解が存在するか、という問いについては現状ではよくわかっていません。
特に時空の対称性の低い解については、解を直接求めることは困難であり、数値的な解析または近似手法に頼ることになります。
よく知られた解析手法として以下のようなものがあります(数値解法についてはここでは紹介しません)
5次元時空では逆散乱法という魔法のように強力な解法が存在していて、様々な形状の厳密解を無数に作ることができます。
私自身はこの手法での解析は行ったことはありませんが、狙った解を作ることは難しく、職人的な経験と勘が必要とされる解析と聞きます(機会があれば挑戦してみたいとは思っています)。
5次元時空には球状のブラックホールだけでなく、ドーナツのように穴の空いたブラックホール(ブラックリング)が存在します。
他にもブラックリングが幾重にも入れ子になったマルチリングや、ブラックホールの周りにブラックリングが配置しているような土星型のブラックサターンという解も知られています。
これらの解は全てこの逆散乱法という手法で求めることができます(ブラックリングに関しては当初は別の手法で求められた)
この手法は強力ですが、残念ながら5次元定常時空に特有な対称性(2次元共形対称性)を利用しているため、6次元以上の解析に適用することができません。
このため、5次元ブラックホールについては無数の厳密解が知られていますが、
6次元以上のブラックホールについては、球対称解を除いて、厳密解はほとんど(※)知られていません。
高次元ブラックホールは変形しやすいため、例えば前述のブラックリング解について回転を強くしていくと、遠心力によって細長いひも状の輪っかに変形していきます。
ここまで変形したものを一部拡大すると輪っかの部分は真っ直ぐな棒(ブラックストリング)を少しだけ曲げたものに見えてきます。
このように極端に薄くなったブラックホール解をより単純な解を少し曲げて貼り合わせて構成する手法をブラックフォールド近似といいます。
ブラックフォールドとはブラックホールと多様体(manifold)を合成したものです。
6次元以上のブラックリングの厳密解は知られていませんが、十分に細い場合についてはこの手法によってよく調べられています。
※電荷や遠心力と重力が釣り合った状態にあるExtremeブラックホールや、超対称性について似たような釣り合いにあるBPSブラックホールなど、重力と他の力が特殊な釣り合い状態にあるブラックホールについては様々な厳密解が知られています
ブラックホール解が「定常」であるというのは未来永劫形を変えずに存在し続けるということです。
回転しているなら減衰せずに同じ速さで回り続けることを意味します。
定常でないならば我々の宇宙に生じたとしてもすぐに消えてしまいますから、定常解の発見は一つの重要なテーマです。
ところで、定常であることは必ずしも「安定」を意味しません。「安定」であるとは、そのブラックホールを少しばかり歪めてやったときに(摂動を加えるといいます)、元の状態に戻っていくなら安定、歪みがどんどん成長して別の状態になってしまったら不安定ということになります。
したがって、我々の宇宙に長く残るブラックホールがあるとすればそれは当然安定かつ定常なものに限られます。
与えられたブラックホール解の安定不安定を調べるという問題は、定常解の発見と同じく重要なテーマになります。
4次元のブラックホールは安定であることが知られており、摂動を加えても準固有振動と呼ばれる減衰振動を経て元に戻ってしまいます。
ところが高次元ブラックホールについてはGregory-Laflamme(GL)不安定性と呼ばれる、長波長の不安定性が存在します。
このGL不安定性はブラックストリングやブラックリングなどある方向に長く伸びたブラックホールに特徴的な性質です。
不安定性の結果、ブラックホールの形状がどんどん不均一(非一様)になっていき、最終的にちぎれていくつもの小さな丸いブラックホールに分裂するまで成長していきます。
ちぎれる瞬間には曲率が無限大になる特異点が生じ、古典的な重力理論では記述できなくなると考えられていますが、その結末については未だ未完成の量子重力理論が必要であり、
未解決問題です。
興味深いことに、この不安定性は時空の次元によって性質を変え、例えばひも状に伸びたブラックストリング解は13次元以下では上記で述べたとおり、ちぎれるまでくびれが成長していきますが、
14次元以上ではある程度不安定性が成長すると、そこで変形がとまります。
したがって、14次元以上においては変形の結果現れる静的非一様解(非一様ブラックストリング解)がもっとも安定な状態になりえます(全質量の大きさにもよる)。
このGL不安定性はブラックホールに球形からはずれて変形した部分があれば普遍的に起こりうるため、高次元時空では大元の対称性の高い解の系列から、それが変形した解の系列が複数分岐するということは珍しくありません(変形解自体が安定か不安定かはまた別の問題)。
そのため、高次元ブラックホール解の種類は非常にバラエティに富んだものになっています。
現在の研究:重力の高次元極限
ブラックフォールド近似は様々な形状の高次元ブラックホール解を構成することができる有力な手法ですが、薄く変形した形状の解にしか適用できませんし、
このような形状は大抵不安定で自分の重力で潰れてしまうか上述のGL不安定によってバラバラになってしまいますから、最終的に落ち着くであろう安定解を見つけることには適していません。
そこで別の近似法として、私は時空次元Dが大きいとして近似する
高次元極限を用いた研究しています。
この手法では時空計量や物理量を1/Dで展開するため、得られる結果はどこまでも近似的ですが、解くべき方程式が劇的に単純になるため複雑な形状のブラックホールの解析を(比較的)容易に行うことができます。
また、1/Dについての高次補正を計算することで、ある程度”低次元”まで精度良く予言することができます。
高次元極限ではブラックホール近傍の緩やかなダイナミクスはホライズン面上に局所化し、ホライズンは有効的な運動方程式(高次元有効理論) に従う仮想的な「膜」として振る舞うことがわかりました。この性質により、解くべき座標依存性が一つ減り、対称性の低い時空の解析が容易となります。この有効方程式を解くことで、様々な時空解の形状や安定性について数値計算を用いない (用いても常微分方程式を解く程度の)解析的な理解が得られました。これらの解析は高次元極限において「重力がホライズン近傍に局所化する」という性質のみに拠っており、より一般的な重力理論においても幅広い応用が期待できます。
高次元有効理論はホライズンの変形がある程度緩やかな場合を想定しているため、ホライズンがどこかでくびれていたり激しく変動していたりという場合には適用できません。
高次元有効理論が適用できない状況下では、一般的な解析方法は知られていませんが、
ホライズンのどこかにくびれが生じるような時空については、幾何学分野でよく知られたリッチフロー方程式を用いて時空の位相が切り替わる現象を記述できることがわかっています。